新版  私の従軍中国戦線 村瀬守保写真集

1937年(昭和12)から2年半、中国各地を転戦しながら写した3000枚の従軍写真。巨大な狂気の渦に巻き込まれた日本人兵士や中国民衆の姿。南京事件2週間後の様子や従軍「慰安婦」や「慰安所」など貴重な写真の数々が、歴史の真実を証言する。

 

【著者より】「私は、1937年(昭和12)の7月に召集され、中国大陸を2年半にわたって転戦し、さまざまな体験をしてまいりました。当時、私は戦争反対の意見を持っておりましたが、そのことを他人に洩らすことはできませんでした。中国ではカメラ2台を持参して、中隊全員の写真をとっていたので、中隊の非公式の写真班として認められ、約3000枚の写真を写すことができたのです。現地でシャッターを押す時、できるだけ平静な気持ちで、人間らしい態度を失わないよう心がけました。今、終戦後42年を迎えて、日本軍の残虐があばかれ、世論に問われています。この時、戦場の狂気に巻き込まれなかった、一兵卒が見た戦場の一場面を、国民の皆様に見ていただくことも、無駄ではないと思い、写真集を出版することにいたしました」(著者まえがき 1987年初版)

 

 

【写真・著者】村瀬守保(むらせもりやす)

1909年(明治42)東京生れ。1937年(昭和12)応召、輜重兵、補充兵、二等兵。1940年(昭和15)召集解除で会社員。1945年(昭和20)いくつかの会社経営しその後、全国商工団体連合会常任理事、埼玉商工団体連合会副会長など歴任。1988年(昭和63)死去。

 

*本体:2400円 B5判 160ページ

*ISBN9784889008364

 

【目次紹介】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

はじめに 

 

第1部 入隊そして上海へ 天津 北京 盧溝橋 石家荘 大連
・富士山で演習 ・沿道の窮民たち ・「豪華」なる邸宅を宿舎に ・戦禍の天津市内 ・盲目の兄弟 ・揚柳鎮へ出動 ・〝天津に集結すべし〟 ・見えたぞ! 上海が

 

第2部 上海から南京へ 上海 無鯣 南京
・死闘のあと ・南京にむかって ・南京制圧 ・大虐殺のうわさが ・駐屯地の生活 ・夜の車両衛兵 

 

第3部 徐州作戦―麦と兵隊― 滁県 蚌埠 臨准関 蒙城
・蒋介石軍せん滅作戦 ・偵察機と通信筒 ・死臭の真っ只中で ・いきなり待ち伏せ攻撃 ・ようやく麦畑へ脱出 ・第一線の兵士たち

 

第4部 漢口作戦―大別山脈を越えて― 寿県 六安 葉家集 漢口
・大洪水と農民たち ・筏を組んで脱出 ・悪路とのたたかい ・コレラ発生 ・果てしない持久戦 ・戦地のお正月 ・漢口の捕虜 ・軍直営の売春宿 ・慰安所規定 ・慰問団来る 
 
第5部 遥か山西省へ―八路軍討伐― 青島 開封 新郷 清家鎮
・かごと一輪車 ・神出鬼没の八路軍 ・住民に物資の配給 ・野戦病院 
 

第6部 ノモンハンそして帰還 ハイラル チチハル ハルビン
・ノモンハン事件 ・極寒のノモンハン ・開拓団特別訓練所 ・帰還直前の事件 

 

第7部 追補編

 

あとがき 


【見本ページ】


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